さといもの伝来

原産地は東南アジアであり、人の手にかからず、 水湿地にて、もとから繁殖していた品種が存在し、 ある変化した品種が中国南部で栽培化され、作物化されたものが、 南太平洋、インド、東南アジア、中国、日本等に伝わってきたと言われています。

  食用のイモは、タロイモと総称されており、さといもはそのうちの一種となります。 山地に自生していたヤマイモに対し、里で栽培されることから さといも(里芋)という名が付いたとされています。

  日本に伝わってきたのは、縄文時代と言われており、 古くから山間部では農耕儀礼や儀礼食として多く用いられ、 近現代でも縁起物として正月料理にさといもを用いる風習が 日本全国に残っています。

なお、芋頭は人の長に立つ頭の義とされ、イモは男女の間柄、あるいは子を産むの義で子孫の繁栄を象徴するめでたいものとされています。

  また、大分県豊後大野市では、縄文時代の遺跡が多数発掘されており、 農耕用の石斧、食器である浅鉢が確認され、現在は、さといもの栽培が盛んな地域にて、 古くから食されてきたことが想起されます。

大分県豊後大野市で発見された石斧

豊の国と名付けられた由来(現在の大分県)

 大分県の古代の史実を表す「豊後国風土記」では、 景行天皇が菟名手(うなで)を現在の大分県に派遣し、 菟名手(うなで)が着いた村で宿泊していたところ、 白い鳥が北から飛来して、その村に集まってきた。 さっそく家来に見張らせていたら、白鳥はお餅となり、 さらには数千株もの芋草(さといも)に化けた。 芋の葉と花は冬でも咲き誇った。

 菟名手は不思議に思いこれを景行天皇に 「鳥が生まれ変わった芋など見たことがありません。 こんなおめでたいことはありません」と報告したところ、 天皇はお喜びになり「天の神から授かっためでたいしるしの物、 地の神から授かった豊草である」とおっしゃられ、 この地を「豊国(とよのくに)」と名付けたのが豊国の始まりであり、 後に二つの国に分け、豊前・豊後としたという記述があります。

これらのことから、古代からさといもが生活に、 めでたさや豊かさをもたらしてきたことが推測されます。

 豊後大野 豊の国 豊かさ

 

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